サロマ湖100KMマラソン 1990
 (兵庫県 ♂ でんでん虫さん投稿)

『自分の体力と気力の限界に挑戦し、近い将来、子供が経験するであろうクラブ活動、学業面での挫折時に口だけでなく、父親として身をもって教えてやりたい。』との一心が、私を '9071()のサロマ湖100kmマラソンにかり立てた。100kmと一口に言うものの、気が遠くなるような距離であった。遥か北海道まで来てしまった自分に、『もう引き返せない!自分は走れる!走ってやる!』と言い聞かせてのスタートだった。

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レース中は神秘的なサロマ湖、広大な放牧地に群がる乳牛、原生花園に咲き競う花々、紺碧のオホーツク海の景色が疲れた体と心を癒してくれた。遥かにピークを過ぎた39才の体と、ややもすると崩れてしまいそうな気力には、沿道での心暖まる声援と子供に対する将来への期待が何よりも支えであった。

『完走できる自信は全然なかったが、ただ子供のために頑張れた…。』が実感である。タイム8時間3408秒で参加者802名中26位でゴールインした私は、子供に対して身をもって教えられるという満足感から、溢れ出るものを敢えて押えようとはしなかった。そこには100kmを走破した者でなければ得られない歓びと、今後どのような厳しい局面に遭遇しようとも、自分一人で乗り切れられる自信が得られた新しい自分との出会いがあった。

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今、こうしてレースで痛めた足をいたわり治療していると、ゴールまで運んでくれた自分の足と、それを支えてくれた“走魂”と名付けた気力に、改めて感謝したい気持ちになる。それと同時に、『子供に身をもって教えてやりたい。』という今年の参加目的から、来年は“男のロマン”を求めた8時間20分台への新たな挑戦へと、“走魂”に強引にかり立てられるのをひしひしと感じる。

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 ☆★☆100Kmマラソンに参加して感じたこと……『体力と気力の限界に挑戦!』した場合、まず体力が極限状態に達し、次に気力が極限状態に達する。このようなレースにおいては“体力”も重要な要素であるが、体力が極限状態に近づいた時点において、最も大切なものは頑張り続けようとする“気力”であり、『足が動かなくなった…。』と言って歩きだすことは『足を頑張って動かそうとする気力(達成意欲)をすでに喪失した現れである。』と私は考えている。真に『体力と気力の限界に挑戦!』して、体力が極限状態に達しても、『這ってでもゴールにたどり着くんだ!』という気力は、まだ残っているはずである。

観衆と視聴者を感動させたロス五輪女子マラソンでのアンデルセン、大阪国際女子マラソンでの浅井えり子のあの意識もうろうとした姿でのゴールこそ、真に体力と気力の限界に挑戦した姿であり、観衆を魅了し万人が拍手喝采する由縁である。

一流選手を目指さない、我ら一般市民ランナーの中において、平均より少しだけ良い成績を修めるために大切なものは、素質(技ギ)でもなければ、体力(体タイ)でもなく、気力(心シン)であると私は考えている。ランニングにおいては、距離が短ければ短い程、心シン、技ギ、体タイの三要素のうち、技ギの占める割合が大きいと考えている。一方、100kmを走り切るには、5km程度を走れる体力を有する人間であれば充分であるとも考えている。100kmという気違いじみたレースでは、
技ギに関係なく心シン
85%、体タイ15%がレース結果を支配すると過言ながら自分に言い聞かせている。また、100kmマラソンのレースは、他の選手との勝負ではなく、自分自身の気力(達成意欲)との勝負であるとも考えている。☆★☆

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市民ランナーの中には、会社生活の繁忙に明け暮れて、練習時間を確保できないランナーが多いようである。私は年間フルマラソン1回(3月中旬のABC篠山マラソン)100kmマラソン1回(7月上旬のサロマ湖100kmマラソン)の大会参加を決めている。これらの大会は、正月休みと5月のゴールデンウイークが大会参加の2ケ月程度前にあり、集中的に練習時間を確保できるこの時期が、私の練習開始のきっかけになっていることもこの大会への参加一因である。

私は練習が嫌いな訳ではなく、練習の必要性も十分認識しているのだが、練習時間の確保が最大の障害となっている一人である。それが故に私は“気力(心シン)”の充実が練習にも優る最も重要なものとして位置付けしており、その気力はその目標に対する達成意欲の強さでもあるとしている。気力の充実は練習時間の有無に関係なく養え、気力の充実をレース当日に体調と同等以上にベストに持っていくことが、レース中の自分自身に打ち克てる秘訣であると考えている。

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人間は動物と異なり苦しみを克服することで、その苦しみを歓び・自信に換えることができる。その苦しみが大きければ大きい程、その結果得られる歓び・自信は大きく、ゴール後に留めどなくこぼれ落ちる感激の塩辛い涙に浸る歓び、喉ごしのアサヒ・スーパードライの味に酔いしれる歓びがそこにある。

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『子供に身をもって教えてやりたい…。』という単純な動機で参加したサロマ湖100kmマラソンにはスタートがあり、プロセスがあり、ゴールがあり、そしてそこに歓びと新たなる夢とがあり、まさに人生そのものだ。

私にとってサロマ湖100kmマラソンでの経験は、人生のモニュメントである。

                                      走 魂    '90-7-8 記